その関係に、名前を付けて。
「少佐ァァァ!!」 ああ、できるだけそんな切羽詰った声で私の名前を呼んでくれるな。 そんな願いも虚しく甲板では三等兵たちのどうしようもなく悲痛な叫び声が響き渡っていた。 海王類が襲い掛かってきたとか、海賊の襲撃に遭ったとか、そんな些細なトラブルくらい 勝手に解決しておいて欲しいものだ・と常日頃から思ってはいるのだが(それらは決して些細と 呼べるものではなかったが、)(というか海軍の仕事の大半であったが、)部下たちの 危機とあってはそこに参上せねばならないのが上官の務めである。 快適だった日陰の椅子には溜め息だけを残して、は気怠けに立ち上がった。 「火拳が...!あの火拳のエースが、何故か此方に向かって手を振っています、っ」 甲板で双眼鏡を握り締めていた海兵が顔面も真っ青、といった様子で漸く現れたに状況説明をする。 目を細めるとかろうじて肉眼で捉えることのできる忌々しいその姿は、海兵の彼が言うように なるほど確かにこの船を停泊させている港の岬から全力で大手を振っていた。 真昼間太陽の下であの男は一体なにをしてるんだ・と 文句のひとつを零しそうになる唇をきゅっと結び、「火拳のエース」の思わぬ出現に慄く船内に 半ばうんざりとしては適当な指示を出す。 「撃ち方用意、」 「し、しかし少佐!それではあまりに、」 「大砲程度じゃ死なないわ」 そういう問題でも...!という制止も虚しく「砲撃開始、」というの非情な合図と共に無数の大砲が それでもなお手を振り続ける陽気な男めがけて一目散に飛んで行った。 -- 「中々手荒い歓迎だったな」 よいしょ、と空と海の区別がつかなくなった真暗い夜の窓からひょっこりと橙のテンガロンハットが顔を出す。 見慣れた帽子。あの男のトレードマーク。まったくこんな夜更けに海軍本部の軍艦に忍び込むなんて 相変わらず正気の沙汰じゃない。昼間の行動も然り。云々と頭を悩ませながら「早く入って、」と 見張り役に見つかるより先に自室へ入るよう促すと「お邪魔しまーす」とどこまでも呑気な声が返ってくる。 こんな現場を誰かに押さえられた暁にはの首ひとつが飛ぶ程度では済まないというのに。 海賊と(それも政府が血眼で行方を追っているような、)逢瀬を重ねる海兵など―恥晒しもいいところだ。 「...もう少し立場を理解して頂けると有難いのだけど、」 「そいつァ無理だ。俺がに惚れちまってる」 堂々と言い切るその科白に返す言葉が見つからないのは結局もエースと同じ感情を抱いているからだろう。 しかし僅かに残された理性が決してそれを許さない。いっそ乱暴にでも強引にでも海軍という檻の中から 連れ出してしまえばいいものを、エースはただ口癖のように「俺と一緒に来い」と繰り返すだけで いつもに逃げ道を用意してくれていた。自分はそれに甘えている。 奪われてしまったなら野蛮な海賊だと見限ることもできるのに、そうする為にはエースはあまりに優しすぎた。 「そんで俺を惚れさせたのは、お前だ」 「随分勝手な理屈」 「ああ...俺ァ海賊だからな」 最後は少し皮肉を込めてエースが笑う。彼の笑う理由がには分からなかった。分からないから、苦しい。 思わず目を伏せるとそれまでソファで寛いでいたエースが動く気配がして、はびくりと肩を震わせ咄嗟に 「近づかないで、」と懇願した。彼女の声の儚さにエースは一瞬躊躇を見せたが、それでも背後から すっぽりとを包み込むように抱きしめた。 ぎゅっと目を瞑る彼女の耳朶に唇を寄せ「、」と世界で一番愛おしいひとの名前を呼ぶ。 反射的にゆっくりと目を開けたの瞳をエースの瞳がきつく捉えて離さない。溺れる。 自分はどうしようもなく、このひとの強さに溺れている。 「我慢なんかできねェよ、」 分かるだろ? 返事は強引な唇に飲まれて消えた。 (一分一秒だって長く、お前の傍にいてェんだ)
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