「好きですか」
それが自分に対しての問いだったということを認識するまでに数秒を要した。 午後三時、昼の講義までは少し時間に余裕がある。暇潰しというか、趣味の一環と言っても 語弊はないのだが―いつものように図書館で本を漁っていた時のことだった。 平日の真昼間と言うことで平時よりもやや利用者は少なめな中で、堂上篤は声を掛けられた。 準図書隊員として実際の図書館業務に携わったことも何度かあるが、まだ図書大学校生である堂上は 正規の図書隊員ではない。制服も着ていないし、まさか声を掛けられることはあるまいと 思っていただけに少し(というか非常に)驚いた。何が、とは言わないその質問に ただただ堂上は答えに詰まって自分に問いかけた目の前の少女を見つめていた。 「好きですか」 その、本が。同じ問いかけに今度は倒置法で主語が付け加えられた。堂上は自分の手元にある本と 少女を一度ずつ見比べて「ああ。この作家の書く本は外れがないからな」と真顔で素直に答えた―なんてことを まさにその作家の娘に激白していただなんて知る由もなく。利用者としていくつかの本の貸し出し手続きを済ませ、 そのまま昼の講義に出席すると斜め前に先程自分に奇妙な質問を投げかけた少女が座っていた。 この学校の生徒だったのか。しかも同期。元々人の顔を覚えるのは苦手な性質なのであまり気にせず ノートを開いていると、隣に座っていた見覚えのある顔の同期が何の気なしに言ったのが耳に入った。 「確か、彼女だよな。先生の娘っての」 それを聞いた瞬間堂上の額がごつん、と派手な音を立てて長机にめりこんだ。隣で爆弾を放り投げた本人と 斜め前に座っている爆弾の張本人と周りで騒いでいた同期たちが一斉に堂上に視線を集めた。 代表で隣の席の奴が「...大丈夫か?」と訊ねるがそれに返事することもできないくらい色んな意味で重症だ。...確かに 同期の中に先生の娘がいるという噂を耳にしたこともあったが。わざわざファンです、なんてことを初対面の、 しかもその作家の娘に言うか普通!?それからというもの講義で彼女を見かける度に なるべく視界に入らないような位置を選んで座った。 それでも卒業間近になると訓練は成績順で編成されるようになり、OJTも組まされるので 必然的に成績優秀な堂上と”先生”の娘であるが同班という機会が増えた。 堂上が勝手に抱えていたわだかまりがいつ雪解けを迎えたのかはいまとなっては定かではないが(そもそもがあのとき 話しかけた相手が堂上だったことを覚えているかどうかさえ疑問だ)この恥辱は誰に語ることも無く墓場まで持っていこう。 そう、決めていた。 「あ、それ」 たまたま休憩時間だったのかそれともいつものおさぼりか、が図書特殊部隊に顔を出しに来たとき手塚が読んでいた 本を指差して「好きなの?」と訊ねた。突如問われた手塚は目をぱちくりさせながらそれでも至極生真面目な表情で 「はい。確か作者は二正のお父さんですよね」と答えた。 「うん。...そーいやその本と言えば初めて堂上に会った時にさあ、」 といきなり話が横道それる間もなくすっ飛んで自分に振られるとは思わず、自分の机で手塚との会話を 聞いていた堂上は飲んでいたブラックコーヒーで盛大に咽て咳き込んだ。「きゃー!大丈夫ですか堂上教官!?」という 笠原の悲鳴も耳に届かず、必死に目だけでに問いかける。まさか覚えてるなんて言わないよな、いまのいままで 自分でも忘れていた数年前まで遡るそのブラックボックスのような出会いのことを!そのテレパシーは通じたのか否か、 はいつものように人を小馬鹿にしたような笑みを浮かべて堂上のことを華麗に無視する。 「なになに?俺も聞いたことないなあ、堂上との出会い話」 「はーい、あたしも聞きたいでーす!一部の堂上ファンとファンに高く売れるかもだし」 「聞くな!、お前もそんな昔のことわざわざ引っ張り出してこんでいい!」 「そーだね、堂上が初対面のあたしに”好きだ”って言ったってだけの話だしね?」 「えー!!!ウソウソ、それホントなんですか堂上教官っ!?」 「んなわけあるかっ!易々とコイツの嘘に引っかかるな笠原!」 ...意外と大胆なんですね、堂上二正。からかうでもなく淡々とコメントを述べた手塚に今度こそ堂上は机に突っ伏した。 |