( 090206 )



手に提げたコンビニ袋にはサンドイッチと紅茶、それとシンプルに包装された箱がふたつ。 まだまだ肌寒い2月の冬風の中を小走りめで駆けつつ、ちょっと近くに昼飯買いに行くだけだし・と 外出前にコートを取りに行く手間を省いた15分前の自分を後悔した。一年中空調の効いた図書館に 勤めているとなるとしばしば季節感にズレが生じてくることがある。ちょっとした難点。 特に今日は館内の気温が普段よりも高かった気がするのは恐らく気のせいではない。 何処かそわそわと浮き足立つような生温い空気が利用者だけでなく 館員たちの間でも漂っている。今日は2月14日だった。


「で、まさかお前はこれがバレンタインのチョコレートだ・なんて言うんじゃないだろうな」


勿論そのつもりだけど、とは自分を胡乱げに睨めつけてくる同期にサンドイッチを頬張りながらしれっと言ってのけてやった。 館内へ戻るなりそのまま昼飯をぶら提げて図書特殊部隊の堂上班のところへ足を運んだは、 よく見るとピンクの文字で「Happy Valentine!」と印刷された箱をコンビニ袋からひとつ取り出して堂上の机の上に置いた。 同じものを小牧の机の上にもうひとつ。此方の同期は相変わらず人の良い笑みを浮かべて「今年もありがとう、」と それを受け取ってくれたが。


「せめてそのコンビニ袋から直渡しだけはどうにかならんかったのか」
「さっき昼飯と一緒に買ったんだから仕方ないでしょうが。貰えるだけ有り難いと思え」


モテる男に渡すチョコほど無意味なものはないというのがの持論だ。 そもそもバレンタインという行事自体が自分には程遠い位置にある。 綺麗なリボンで包装された手作りチョコレートを頬を染めながら相手に渡す・なんていう今時の 青春ドラマの中でも中々お目にかかれないようなシチュエーションを館内の彼方此方で目撃する度に 所構わず砂を吐きそうになる。自分には引っ繰り返っても出来ない芸当だ。手作りチョコすらもう何年作っていないことか。 が、毎年思い出したようにこの同期ふたりにチョコを渡すのはほとんど昔からのよしみというやつに近かった。 要はただの腐れ縁。ふたりともそこそこモテる男の部類に入るわけだが、その点においては 堂上も小牧も律儀に1ヵ月後にはなんらかの形でお返しをくれるので問題はない。 たとえ渡されたのが昼飯と共に購入されたコンビニチョコレートであろうとも。


「これは俺の興味本位で聞きたいんだけどさ。は誰かに本命チョコとか渡したことあるの?」
「失礼な発言だね幹久くん。こんだけ年重ねてきて一回もないですとか悲しすぎると思わない?」
「毎年コンビニチョコを隠すでもなく堂々と渡す女に言われてもな。説得力に欠ける」


この野郎、さては根に持ってるな。横目を眇めて睨みつけてやっても綺麗に視線を外す堂上を見ては心の中で悪態を吐く。 「ということは、あるんだ?」とすぐさま言葉の揚げ足を取ってくるもうひとりの同期は流石というかなんというか。 いつまで経っても侮れない男。


「一回だけ。図書隊入ってすぐの頃くらい」
「貰った相手はそのチョコ食うべきじゃなかったな。いまなら珍しすぎてプレミアがつく」
「まあ、向こうはただのコンビニチョコだと思って受け取ったからねえ」


記憶の限りではそれが最初で最後の手作りで、最初で最後の本命チョコだったと思う。別に友達以上の関係を期待していた わけでもないし、相手もまさかわざわざ手作りチョコをコンビニ包装し直したものを渡されただなんて微塵も思って いなかっただろう。いまとなっては懐かしい思い出だ。サンドイッチの最後の一口を頬張りパック紅茶で流し込む。 そろそろ戻ろうかと立ち上がり、きっと笠原辺りが 盛ったのであろう茶請け鉢いっぱいの某大手チョコレートメーカーの赤い包装をいくつか制服のポケットにくすねて 「じゃ、お邪魔しましたー」とドアノブに手を掛ける。「、」と背後から呼ばれたのは堂上の声に。


「一応、礼は言っておく。ありがとうな」
「どういたしましてー。お返しは3倍で宜しくね?」


ああ、分かってる。聞き覚えのある科白には口端を吊り上げて笑った。


花と
(君はあのときも同じことを言ったよ)

title by : nancy,i love you.