胸中に巣食う愚かしい感情に気づいた頃にはもう状況はかなり拗れたことになっていた。
きっとこの先に修正なんて利く筈もないし、そんな健気な努力をしようと
思うほどそもそも出来た人間ではなかった、何方とも。
初めて出逢った日から遠くもなく近くもない曖昧な距離を狡猾に保ち続けてきたせいかもしれなかった、
深みには踏み込もうとせず浅くて綺麗な部分だけを手で掬って、それで互いを理解していると驕っていた。
なにひとつ本当のことなど知らないことくらい無駄に冷静な頭の中では最初から分かっていたのに。
目を背けた、これはその成れの果て。
「ご機嫌斜めですか、一番隊長さん」 ゆらゆら甲板を漂っていた紫煙がやがて冴えない曇天に霧散した。 先程までいっそ清々しいほどの快晴だったのに、この様子だと午後からは雨が降ると言っていた 航海士の予報が当たるかもしれない。内心そんな馬鹿なと思っていたのだが。 彼女は船に到着するなり船長である白ひげに呼ばれて奥へと姿を消した、 自分には一瞥すらくれることなく。何処かで勝手に期待していたのだと思い知らされた気がして、 そんな感情を抱いているのは自分だけだということを思い知らされた気がして、その浅ましさに反吐が出そうだった。 マルコは視線の先に細い煙を捉えながら、偉大なる航路の不規則すぎる天候を気にかける 振りをしつつ酷く裏切られた気分を味わっていたのだった。 煙草を吸うのは何か気に食わないことがあった時だけだということを知られている。それ程の仲。その程度の仲。 「..."情報"は良い値で売れたかよい」 "仲間"ではないし、ましてや"海賊"ですらない。 仮に彼女が誰かに自分たちを売ろうとも、無法者の自分にはそれを咎める権利がないのは当然のこと。 此処に悠々と現れたということは商談は成立したに違いない、 白ひげ相手に交渉や取引のできる人間など偉大なる航路を隈なく探したところでこの女以外にあり得ないだろう。 ふう、と息を吐き出すとまた口から白い煙が漏れた。 煙草特有の匂いが辺りに充満しているのを大して気にした様子もなく華奢な身体が隣に並ぶ。 仲間も同然だと錯覚していたのは、彼女の張った罠だったのだろうか。 「良くご存知で、」 「お前はエースを気に入ってるもんだと思ってたがなァ。どうも勘違いみてェだよい」 そんな意地の悪いこと言わないで下さいよ、と彼女が眉を下げて苦笑う。 これから起こりうる戦争の渦中にあるものがたとえ気心が知れたひとりの海賊だったとしても、 彼女にとって問題は他の誰でもなく自分に利益があるかないか・それだけだ。 齎すものが大きければ"海賊"側にも"政府"側にも、或いはその何方側にも付く。 利己的だ無節操だと罵られながらもそうして生きてきたのだろうから。 裏切られていると知りながらも手離せないそれは危険な麻薬の色香にも似て。 「本当に戦争、始まるんですね」 「...止めたって無駄だよい」 「止めませんよ。だから、此処にいる」 ぽつり、ぽつりと重みに耐え切れなくなった厚い雲がやがて雫を落とし始めた。 形を変えて雨となった海が還る、雨が形を変えて海に成る。 元々のあるべき姿は雨か海か、答えなど世界を捜して回ったところである筈もなく。 水面に弾かれた雨粒を見やりながら「中へ入りましょうか、」と彼女が踵を返す、 その細くて白い腕を此処に繋ぎとめる為の理由も捜したところで、また。 「ああ、そうだ」 その言葉ひとつに、その仕草ひとつに、 「煙草、止めた方がいいですよ」 掻き乱される。なんでだよい、とむっとして聞き返すと似合ってませんから、と返された。余計なお世話だ。 「それに、」と続く言葉が耳に届くと同時かそれより少し早く、かなり強引に襟が引かれて 爪先立ちした彼女の柔らかいそれが唇に押し当てられる。指先から零れた煙草、今や煙も立ち昇らないそれは 濡れた甲板に触れた瞬間じゅっと音を立てて役目を終えた。誰に教わったのか離れ際に唇をぺろりと舐めてから 「私があまりすきじゃありません」艶かしく笑うなんて、反則だ。 その唇が紡いだせいでこの船の誰が死んでも構わないと思っているくせに。 「お前ろくな死に方しねェよい」 「はは、そのつもりです」 title by : 酸性キャンディー |