月が嫌いなのを知っているだろう、
「彼の気まぐれに選ばれたからって調子に乗らないでよ」 「シリウスが貴女なんか本気で相手にすると思ってるの?」 余計なものを見てしまった・と思った。 大広間での昼食を終え薬草学の授業へ行く途中、階段下の踊り場に見えたのは腕組みをした3人の女生徒と 無表情の中に分かり難く困ったような表情を浮かべたひとりの女生徒とのワンシーンだった。 見ていなければ知らない振りもできたものの、生憎その光景は階段の数段上に居たリーマスからは 残念すぎるほどよく見えた。先程の昼食に彼女が姿を現さなかったのは成程こういう理由か、そのせいで シリウスが終始不貞腐れていたことなど勿論知らないのだろう。 リーマスは腕時計を一瞥し別の道に引き返している時間が無いことを悟ると 溜め息をひとつ吐き出してそのまま階段を下りていった。 陰険なことをするのなら少しは場所を弁えるべきだ、目撃する方の身にもなって欲しい。 「やあ、君たち。お楽しみのところ悪いんだけどそろそろ授業が始まるよ」 リーマスが朗らかに取り繕って声をかけるとどきりと身を竦ませた3人がそれぞれ狼狽える。 誰かが此処を通ることを想定していなかったとでも言うのだろうか、いくら不規則に変化する 城の階段とはいえあまりに浅墓な考えだ。「リ、リーマス?」「あの...いまの、」さっきまで 威勢よく腕組みをしていたのが嘘のような態度でおずおずと見上げてくる女生徒に リーマスは「何の話だい?」とにっこり笑顔を貼り付けて応対する。と、目に見えて 安心した彼女たちは(本当に聞こえてないと思ったのか、)「そう、ね、授業が始まるわ」「私たち行かなくちゃ、」と そそくさとその場を立ち去っていった。残されたリーマス、と、もうひとり。 普段はあまり関わらないようにしているからこうしてふたりにされると非常に困る・のである。 「ルーピン、」 「君を助けたわけじゃない。感謝される謂れはないよ」 「うん...でも、助かった」 無造作に床に散らばった鞄の中身を拾い上げるを見遣りながら、やっぱり此処を通るんじゃなかった・と今更後悔した。 その小さな後姿になんと言ってやればいいのかまるで分からない。声をかける必要もないしこのまま 薬草学の温室へ直行すればいいのだが、何故かがすべて拾い終わるまで動くことができずに 気づいた頃にはもう次の授業の本鈴が城中に鳴り響いていた。授業に遅刻して減点されたとあっては 監督生として、寧ろシリウスとジェームズの手前示しがつかないじゃないか・と心の中で身勝手に非難する。 「レパロ、直れ」とが修復呪文で裂かれた鞄を直すのを視界の端で捕らえると「じゃあ僕は行くから、」と 足早に階段を駆け下りようとした、けれど、がリーマスのローブの裾を掴んでそれを引き止める。 流れ去る沈黙。奇妙な間を置いてから「...なんだい、」とリーマスが努めて穏やかな声で訊ねた。 必然的に見下ろす形になるの、色素の薄い髪と淡い瞳の色。ああ、これじゃまるで本当に月のようだ、 「シリウスには、言わないで」 「助けて貰った方がいいんじゃないかな。君の恋人だし、」 「...迷惑掛けたくないの」 果たしてそれは迷惑の内に入るのだろうか・と親友とも悪友とも呼べる男を思い浮かべて即座に否定した。 何せ午前中に一度もに会えなかっただけで不機嫌になるほどの溺愛具合である、話すべきことは明確だ。 学年一とも謳われる端正な容姿の持ち主兼名門ブラック家の御曹司を 盾にして防げないことなんてある筈もないのに。が何を「迷惑」だと感じているのか 理解できないまま、ローブを握り締める白い指先が微かに震えているのに気づかない振りをしたまま、リーマスは 目を伏せた。 「分かった、言わないよ」 だから君が苦手なんだ -- 「リーマス」 組み分け儀式で初めての姿を捉えたときからずっとそう思っていた。 容姿も、立振舞いも、存在から受ける印象すべてがあの忌々しい銀色の月を彷彿させる、 同じ寮になっても同じ談話室に居ても微塵も緩和されない一方的な嫌悪と苦手意識は がシリウスと恋仲になったいまでも一向に変わらない。 関わらないようにしようと思った、わざわざ衝突するなんて愚かなことだ、 例えばあの3人の女生徒のように。 一日の終わりに談話室で物思いに耽っていたリーマスはそれまで席を外していたシリウスに 呼ばれてはっとした。咄嗟に昼間の出来事が脳裏を掠めたが、なんとか体裁を取り繕って応対する。 「考え事か?いまお前すげー顔してたけど」 「別に...満月が近いだけさ、」 肩を竦めて見せるとそれをあっさりと信じたらしいシリウスがリーマスの隣に腰掛ける。 そしてどこかきまりの悪そうに言葉を選んでいるものだからそれに続く話は絡みであろうことは容易に予測できた。 いつまでも逡巡してそうなシリウス(およそシリウスに似つかわしくない様子の時は彼女の話題ばかりだ、)に 「とどうかした?」と単刀直入に聞いてみると「...分かるか?」と漸くシリウスが口を開いた。 「有難う、って言ってくれって」 「誰に」 「...ムーニー」 「理由は?」 「不明、しかも様子が変だ」 馬鹿だなあ・と思った。 わざわざ理由を一番知られたくない人間を通すなんて(僕がお礼を断ったんだけど、)不器用にも程がある。 無意識のうちに笑みを浮かべていると疑り深く睨めつけてくるシリウスの視線が痛く刺さった。 なにかあらぬ誤解を受けているらしいことを悟って、 シリウスが危惧しているようなことでは全くないと思う・と曖昧な説明をしてから リーマスは立ち上がって「そうだ、」ふと思いついたように口に出す。 「それは"迷惑"じゃないよ・って言っといて」 「...やっぱりお前何か知ってんだろ」 「さあね。でも一応約束は守る主義なんだ」 おやすみ、と未だ納得できない様子のシリウスを残し男子寮へと続く階段を上りつつ、 あと一回くらい助けてあげてもいいかな・なんて窓から見える少し欠けた月を見ながら考えた。 (勘違いしないでよ、君がシリウスのガールフレンドだからさ)
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