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平和島静雄が恐いか?と問われれば少女はきょとん、とした表情で首を横に振る。 まるで何故そんなことを聞かれているのか解らない・とでも言いたげな表情で。 確かに自動販売機を投げ飛ばしたり道路標識を振り回したりと、少々(いやかなり)人間離れ したところがあったりするのだが、そんなこんなを差し引いたとしても―の目に映る 平和島静雄という男は、いつだって恐怖の対象には成り得なかった。




「...なんとかは盲目、ってやつかァ?」


平和な池袋の空の下、ドレッドヘアが特徴的なチンピラ風の男は誰に宛てるでもなくそう呟いた。 平和だ、実に平和な平日の午後だ。彼の視界前方2,3m付近で展開される地獄絵図のような 状況をも日常と呼ぶのなら。まるで紙飛行機か野球ボールの如く軽々しく宙を舞い空を飛ぶのは 人間、それも標準よりやや質量のありそうな成人男性。それを投げ飛ばすのは 長身だが標準よりやや細身の、この池袋で最も喧嘩を売ってはいけない金髪バーデン服の男。


「うォらあァッ!!!」


べき、ばこ、どしゃ。耳を塞ぎたくなるような効果音に引き続いて平和島静雄の怒声が池袋という街を震わせる。 既に辺りには人影ひとつ見えず、抗争(というか最早一方的な蹂躙だが、)に巻き込まれることを 恐れた一般市民は速やかに避難したものと思われた。まァ、それが正しい判断だわな。 目の前で俗に「暴力」と称すべき力を振るっている静雄の上司に当たる男―田中トムは心の内でまた呟く。

だから、ある意味でその少女は異常だった。








「静雄のこと恐くねェの?」


声をかけたのは偶然だった。その場に平和島静雄が不在だったことは必然なのかも知れないが。 しかし顔見知りとはいえ決して善人には見えない自分にあっさりついてきて、 某ファーストフード店にてシェイクを啜る女子高生が居て良いものか。 貞操観念云々と静雄がぼやいていたのも成程頷ける。 きっと放って置けないんだなァ、あいつ。小動物とか好きだもんな―総じて その小動物にさえ恐がられてしまう哀れな男であるのだが。


「......凄いなあ、とは思いますけど」


微妙に主旨がずれている。もっと言うなら感性と観点もずれている。 その少女―との最初の邂逅はほんの数週間前の話。 なんてことはない、少女を取り囲んでいたガラの悪いチンピラ共を静雄が文字通り吹き飛ばした、 此処までがいつもの日常風景。そして此処から非日常への幕開け。 助けられた小動物―仮に兎とするならば、無垢な兎は あろうことか自分を助けた狼に懐いてしまった。狼狽えたのは勿論凶暴な狼。


「トムさんだって、」
「俺か?俺ァ普通に怖いけどな。あとは慣れだ慣れ」
「...優しいですよ?静雄さん」
「あー普段はな。基本的にイイ奴なんだ、あいつは」


ただ沸点が異様に低いだけで。そこが一番の問題なんだが―男が悶々頭を悩ませていると、 目の前の女子高生はくすくすと肩を震わせあろうことか笑ってみせた。 まだどこか幼さが残るその表情に毒気が抜かれる、 やっぱズレてんなァ、と少女を観察しながらしみじみ思うのだが。




「きっと誤解されやすい人なんだと思います、」


どうやら人を見る目はあるらしい。








「静雄ー終わったかー?」


破壊音が止まった路地裏に向かって上司は大声を張り上げる。そろそろ時間的に次の仕事へ 向かわなければ今日中に仕事が終わらないことになる。それだけは勘弁だ。 既に陽の傾きかけた池袋の街にに大きな溜め息を吐きながら、 最近新たに誕生した魔法の呪文を唱える。


「23時までに仕事終わんねーべ、」


どんがらがっしゃん。おもちゃ箱のがらくたを引っ繰り返したような音が鳴って、 死屍累々を踏み越えて路地裏から姿を現した静雄が まるで何事もなかったかのように(それこそ無傷で、)サングラスを かけ直しながら上司を率先して歩を進める。なんという効果覿面。 上司はこの場にいない少女に感謝をしつつ、いつもの立ち位置に落ち着いた。


「...次、何処っすか」
「この近くのおっさんでよ。先月分料金滞納だとさ」
「んじゃ、そいつぶっ飛ばしたら間に合いますよね?」
「(...案外盲目なのはコッチだったりしてなァ、)」