( 100525 )



巡る無常。




「お前、平和島静雄の女なんだってな」


現状を客観的に見ると、自分があまりに不利な状況に置かれているということがよく分かった。 こんなことになるなら不精せずにちゃんと正しい帰路を辿って家へ帰り着くべきであった、と。 人っ子一人通る気配のない、まだ昼下がりだというのに薄暗い通りで多人数にぐるりと 四方を取り囲まれたはどこぞの彫刻のように腕組みでもして「うーん」と唸りたい気分になった。


「......違うと思いますけど」


そもそも現状が根本的に間違っている。は「平和島静雄の女」になった覚えはないし、仮に そうであったとしても因縁をつけられて襲撃される謂れもない。 の良く知る「平和島静雄」という男は少なくとも自分から好んで暴力を振るうような 粗暴な人ではない、寧ろ帰宅時間の遅い自分の身を案じて家まで付き添ってくれる ような、そんな心優しい一面を持ち合わせた人だ。それを喧嘩だの最強だの下馬評で 担ぎ上げるのは如何なものか。ああ、なんだか腹が立ってきた。


「(喧嘩した、って言ったら静雄さん怒るかな)」


それにしても久しぶりに襲われたなあ、なんて呑気に事を構えながらは金髪バーテン服の男が 顔を顰める様子を想像した。あまり心配や迷惑はかけたくない。 天分なのかなんなのかはよく分からないが、幼い頃からやたらと不良因子に絡まれる性質で あったは(幼稚園の頃には誘拐騒ぎまであったものだ、)特に護身術を習うこともなく ただ三つ上の兄の助言を忠実に実行していたお陰で今まで無事だったと言っても 過言ではない、つまり―「問答無用で蹴り上げろ」。ということらしいのだが、流石に この人数相手はどうすべきか。




「あれ、もしかして喧嘩?」


とりあえず全力で逃げる算段を整えていたは場にそぐわない爽やかな声色に拍子抜けした。 自分を取り囲む男たちの背後、そこからひょこりと現れた黒いコートを身に纏った優男。 かなり端整な顔立ちをしたその男はまさか静雄のようにこの場の全員を一発KOできそうな 膂力を持ち合わせているようには到底思えず、これは助かったと思うべきなのかどうなのか という微妙な状況にははてなを浮かべることしかできない。一体誰なんだろう、このひと。


「駄目だよ喧嘩は、ねえ?ほらその子も恐がってるみたいだし。それに女の子相手に多対一はよくないと思うけど?」


さてこの色男がどのような行動に出るのかと思案していると、すぐ傍にあった ごみ箱が飛んできた。 普段静雄が自動販売機やらポストやらを軽々しく飛ばすのを 目の当たりにしているからか、あまりに普通に中身をばら撒く程度に飛んできたそれを見て 思わず笑ってしまいそうになる。が、勿論そんな暇などある筈もなくごみ箱の飛来と同時に かくん、と色男に手首を掴まれたは呆気に取られている不良たちの合間を縫って 気付くと駆け出していた。結局逃げる羽目になるのか―背中に「っ、待てコラァ!」という 怒声を聞きながら男に手を引かれるがままに走っていた。







「さて...撒いた、かな?」


予め逃走ルートを用意していたんじゃないかと思うくらい複雑な小路をひょいひょいと 逃げ回り、見知った池袋の街の大通りへと出た。 後ろをずっと追いかけられていた足音はもうしない。「ああ、ごめんごめん。連れ回しちゃったね」と 肩で息をし始めるに対して相変わらず男は涼しい顔をしたままだ。 得体が知れなさすぎるのは否めないが、此処はお礼を言うところだろう。


「あの...助かりました。有難う御座います、」
「俺は何もしてないよ。君は助けを必要としてなかった、だろう?」


流石は「平和島静雄の女」だね。にっこりと笑顔で付け足されたその言葉には 金魚のように口をぱくぱくとさせる。違うんです、とか変な噂が、とか色々言ったような気もするが 果たして何処までこの男に伝わったのかは解らない。 大体何処で何時からそんな噂が流れ始めるようになったのか―いまはまだ話にしか聞いたことのない新宿の情報屋が 一枚も二枚も噛んでいたとかいないとか、それはまた別の話。




「俺は奈倉。またね、さん!」


変わってる、でも悪いひとじゃない。それが男に対する第一印象。 それにしても...あれ、私いつ名乗ったっけ?